決算発表,そこには東芝の姿はなかった。あとパソコンの話。

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電気大手の第一四半期の決算がでたようです。

日立,ソニーの好調と,シャープの赤字が止まらないことが報道されています。

富士通NECはいつも赤字のような気がするが気のせいかしら。

そして東芝は決算発表すらしていないと。

憤りを覚えます。

 

日本の人口が減る中,企業は国内だけの事業では売り上げも収益も拡大させることは難しくなっています。

また,海外に展開していても,コスト競争にさらされていては収益は上がりません。

ヨーロッパでも,富士通のパソコンを持っている人がけっこういます。頑張ってるなーと思っていましたが,ユーロ安の影響で富士通のパソコン事業は赤字のようです。

 

すでに何年も前から,パソコンは特別なものではなくなっています。

ノートパソコンの高機能化と低価格化には驚いています。

10年前,一般家庭や大学生はみんなデスクトップを使っていました。

ノートパソコンはとても高かったのです。

今ではデスクトップを買う人はいなくなりました。

一部のヘビーなゲーマーを除いては。

 

テレビと同じで,パソコンが組み立て産業になってしまった時点で,

事業としては成立していないのかもしれません。

もしかしたらどこも赤字なのかもしれません。

パソコンのシェアが高くても,赤字垂れ流し事業では先がありません。

いつの日か,パソコンもワープロのような忘れられた存在になってしまうのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

ドイツ人は道端に落ちている1セントを拾うのか

道端に1円玉が落ちていたら拾うでしょうか。
私は拾いません。
Edyなどの簡易決済カードが普及したおかげで,1円玉の使用頻度は本当に減りました。
おつりで1円玉をもらうことはありますが,すべてコーヒーの空き瓶に入れています。
かれこれ3年ほどやっているかも。
でも全然貯まりません。
それだけ現金を使う機会が減ったということですね。
 
さて合理的で知られるドイツ人。道端に1セントが落ちていたら拾うでしょうか。
1セントはさすがに拾わないかもしれませんね。
 
かわりにゴミ箱を漁る光景はよく目にします。
ドイツのペットボトルや缶の中には,リサイクルのためのデポジットを支払うものがあります。
そのマークがついているペットボトルや空き缶は,25セントの価値があるのです。
空港や大きな駅では大量のペットボトルを持ったおじさんをよく目にします。
電車の中でも,1席ずつゴミ箱を確認してまわる人がいます。
主にホームレスですが,とてもお金には困っていなさそうな,身なりのいいおじいさんがゴミ箱の中をチェックしているのを見かけることがあります。
やっぱりドイツ人はお金が大好きです。
 

ドイツの公共交通機関は採算がとれるのか

合理的で知られるドイツ人。
ドイツの鉄道やバス,地下鉄には改札がありません。
それは合理的でないのです。
 
どう考えても電車の中で一人ずつ検札する方が合理的でない気がするのだけど。。。
 
おそらく,
     検察機の設置,メンテナンスコスト>車内検札のコスト,無賃乗車の損失
なんでしょうね。
 
でも実際ドイツに来てみて,検札ってあまりないのです。
ドイツ鉄道の特急で8割,普通電車で6割,バスは1回だけ,地下鉄は1回もありません。
でもドイツ人はほとんど無賃乗車しないそうです。
無賃乗車で捕まることはとても恥ずかしいことのようです。
 
もちろん犯罪なのでやめましょう。

ドイツ人と日本人,決定的な違いはなにか

 日本人とドイツ人は似ていると思っていたらとんでもない。
「ドイツ人は時間を守るイメージがある。日本人と一緒じゃない。」
いやいや,そんなことはありません。
遅れるのみならず,ドタキャンされました。プライベートならともなく,仕事です。
問いただしてみると,謝らないどころか,あからさまにうその理由をでっちあげる始末。
 
びっくりしてしまいました。
どう思い出しても日本でそういう対応をされたことはありません。
 
どこまでも合理性を追求するドイツ人。
友人曰く,彼はドイツ人の中でもステレオタイプ的なドイツ人を体現しているとのこと。
 
おそらく彼の頭の中はこうです。
「こいつの相手をするのは時間の無駄だ。謝るのも無駄。こいつが怒っても何も不利益はない。」
ここまで計算してのドタキャンです。
 
合理性と礼儀は別に考えるべきです。
そして彼一人とその他大勢のドイツ人も分けて考えるべきです。それもひとつの礼儀です。
 

ドイツに来て1年,もう帰りたい?

早いもので,ドイツ生活があっという間に1年になりました。
 
言葉の壁。
文化の壁。
食事のバラエティーの乏しさ。
仕事のもろもろ(本当になにやってるんだか状態)。
 
思い描いていた海外赴任ではありませんでした。
 
社内には,海外に赴任する人はたくさんいます。
みんな同じように苦労し,乗り越えていったのか,
自分だけがうまくいっていないのか,
自分だからこそ,うまくいっていないのではないか,
会社は人選を間違えたに違いない,
いっそ会社を辞めてしまおうか,
会社を辞めてどうしよう?
どうせなら人生も辞めようかね,
 
などなど,本当に色々な感情や考えがごちゃごちゃして,仕事なんてできたものじゃありませんでした。
あと何年になるのやら。
 
海外赴任当初,「最低でも3年。1年で帰るんだったら意味がない。2年でもきっと足りないと思う。だから3年。」
などとほざいていました。
1年目の判断は正解です。1年では異文化の壁にぶち当たったぐらいしか感想がありません。
でも正直なところ,もう日本に帰ってもいいかな,と思ったりします。
 
たしかにドイツで生活することは新鮮であり,様々な苦労もいわゆる「いい経験」と言われるものなのでしょう。
でも本来日本でできたこと,できることを犠牲にしたうえでの海外赴任であることを忘れてはいけません。
 
海外赴任をうらやましいという人はたくさんいいました。
でも実際,楽しいことよりも辛いことのほうが多いのが現実でした。
 
こちらでうまくやっている日本人を見ると,余計に自分がみじめに思えます。
ほかの誰かができているのに,自分にはできない。自分は敗北者であると。
 
落ち込んだときは,「海外赴任,鬱」などと検索して,自分と同様に海外赴任で苦労した人たちのブログを読みます。
できていないのは自分だけではないんだ,上には上がいるけども,下にも下がいる。
結局,現実から目をそらし,自分のふがいなさを正当化しようとしているだけで,根本の解決にはなりません。
 
なんでも頑張ろうとすると精神が持ちません。
ある程度余裕を持つことが重要です。
余裕を持つことと,サボることは違います。
 
 

ドイツ滞在の話

私はいまドイツに滞在している。いま1年3ヶ月が経過したところだ。これまでの記録をつけようとは思わなかったが,自分のこれまでの経験と印象を,インターネットという人類が生み出した集合知の一部に加えたいという欲求が日に日に強くなった。

 

自身,あとで読み返すこともないだろう。インターネットの片隅にひっそりと佇んでいたい。